「精神の声」

作品時間、328分。時間単位に変えると5時間28分だ。この非日常的な数字に一瞬ためらったが、勇気と気力を振り絞って水道橋へと見に出かけた。冒頭の第一話にして、いきなり固定ショットが捉えるモーツァルトメシアンベートーヴェンの音楽がかかっているらしいロシアの大地の画面が40分近く微動たりとも動かず延々と映されている。その代わり、スローな時間をかけたオーヴァーラップや優雅に飛び回る鳥の群が心の襞を静かに打ってくる。この固定画面が鎮魂の意味をほのめかす画面であったことは、見終わった後に映画外部の情報によって知らされることになるのだが…。旧ソ連タジキスタン共和国で続く内戦に派兵されたロシア軍の若き兵士の日常生活を淡々と描写するこの映画は、とてもたいくつな画面の断片がゆっくりと積み重ねられている。だが、物語構成を出来る限り省こうとするこのドキュメンタリー映画は画面に映る若き兵士の存在から内面にある微々たる魂のうごめきを丹念にすくいとろうとしている。その若き兵士たちとソクーロフ監督と二人のカメラマンとの魂の対話に、我々は心を揺さぶられずにはいられない。国境周辺の険しい山間をパトロールしたり、基地に戻って食事をしたり、たわいのない会話やじゃれ合いをするだけの単調な生活をカメラが繰り返し捉えるなか、第三話では、唯一の戦闘場面が出てくるのだが、それも露光過剰の画面のせいで爆撃や銃撃戦の生々しい輪郭がよく見えない。戦闘場面であるにもかかわらず、全くといっていいほど、緊張感がない。だけど、現実にそれが起こっている。露光過剰やわずかな色彩があるだけのモノトーン的な画面表層は我々が普段接している知覚感覚を逸脱させ、現実と幻想の境目の見分けがつかないようなあちらでもこちらでもない浮遊感、だが現実的認識もしっかりと張り付いてくる奇妙で不可思議な感覚を我々にもたらす。緊張感を解き放つ兵士の寝ているシーンがたびたび現れる。(その姿は艶かしくて、一種のエロティズムがある)。その姿は、無防備で美しく至福なイメージを放つのだが、安らかに死んでいるような不気味さも同時に出現する。それはこの映画の撮影後、兵士のほとんどが戦死したという衝撃的な事実をソクーロフ監督が予感したことに結びつくのだろうか?実際のロシア内戦では、映画に描かれる世界とは逆に激しさや厳しさを増していたという。だからこそ、ソクーロフ監督とカメラマンは現地に向かい、つかの間の危険でない時に若き兵士たちの無垢なる魂をフイルムに焼き付けようとしたのだろう。この映画に出てくる若き兵士たちは国家に翻弄される単なる一個人の存在にすぎず、それぞれの個人個人は慎ましやかな好青年以外の何者でもない。映画内部のソクーロフ的世界と映画外部の厳然たる現実。映画監督(とあらゆる芸術家)とは、残忍な面をさらけ出しながら作品をつくっていくシビアな認識をもたなければならないのだろう。「精神の声」は、ソクーロフ監督のいる巨大国家であるロシアという現実を若き兵士を通して浮かび上がらせてくれる、大いなる矛盾をはらんだ偉大なる映画である。