日活ロマンポルノ

60年代後半から日本映画界は斜陽期に差し掛かり、各映画会社のスタジオシステムが崩壊するなかで、日活は成人映画というジャンルに社運を賭け、日活ロマンポルノという路線でプログラムピクチャーズを辛うじて維持できた。(それもAVが台頭する80年代後半でピリオドを迎える)現在、世界的な評価を得ている日活ロマンポルノが、若い女性の間でも支持者がじわじわ増えているという状況は、実際にそれらの映画をみれば、合点がいくような気がする。

女性の裸やセックスシーンが頻繁に映っていれば、どんな映画になってもかまわないという方針のもとで監督は自分の映画的感覚を自由に発揮することができた。その結果、成人映画という枠を超えた優れた映画がたくさん生まれた。今回、曽根中生の「わたしのSEX白書 絶頂度」と田中登の「実録 阿部定」の二本を観るのだが、男と女がいて、お互いがねっとりと絡み合うという、本能的物質性が真っ先に描かれていて、それに当時の時代性の雰囲気が見事にマッチングされている。70年代のけだるい倦怠感の中、昭和初期の戦時下の緊迫感の中で男と女はエクスタシーのみならず、皮膚と皮膚が触れ合う触覚の限界を突き抜けて単に人間の存在性を確かめ合う根源的なところまでやり続けるのだ。それこそ、社会、家族、文化のいろんな制度や通念から人間がもっとも自由でいられる状態なのかもしれない。また、映画の物語性や意味性からも自由であろうとしていた。