「麦の穂をゆらす風」

イギリス支配の中、アイルランド独立運動に身を捧げた人々を描いた映画であるが、国のために戦うということが、今の時代を生きる僕にとっては、あまりにも遠い時代の出来事のように感じてならなかった。だが、この映画は愛国的行為や忠誠心ということよりも、戦争そのもの、戦争がもつ構造からくる理不尽さのほうが前面に出ている。戦争に入れば、きれい事や理想は無意味になり、無限の暴力連鎖が始まり、悲しみや憎しみしか残らなくなってしまう。心優しき主人公でも裏切り者を簡単に銃殺してしまうし、そうならざるをえなくなってしまう。極限状態のなかで人間はどう行動せざるを得なくなるのか、これがこの映画で描いたことのひとつでもあるのだろう。それでも、被抑圧者という弱者の立場からこの映画を撮ろうとするケン・ローチの視線にはどこか温かさを感じる。

これまでの作品から見てもわかるように、ケン・ローチは社会の片隅や底辺に生きる者や被抑圧者など、スポットライトの当たらない市井の人々や社会的弱者の側から世界を見つめようとする。ケン・ローチの映画は一見すれば、正義の立場からヒューマニズム的に描いた世界のようでもある。事実、半分はその通りかもしれない。だが、そのような単一的な「希望」という言葉に収斂しきれない、距離をおいたクールな眼差しも共存する。それは現実社会の矛盾を隈なく全面的にうち出すリアリズム的描写の印象から来るのであり、人間や社会の表面や裏面を鋭利に突き抜ける視線でもある。それでも最終的には、資本主義や帝国主義に対する抵抗を土台に置いたケン・ローチの世界観が映画を覆いつくすのである。ケン・ローチの映画を見ることは、どうにも抗うことのできない世界規模の資本主義化のなかで、我々がどう生きるかの指針になることでもある。