「散歩と部屋」

先日文房堂ギャラリーにて、井上実・天本健一展を観る。ある文献によると井上の作品のモチーフは散歩中に出会ったものであり、天本の作品は部屋の中で静物を構成し、それを画に描くというやり方になっているそうだ。だから、「散歩と部屋」という展覧会タイトルがつけられたのだろうが、そのタイトルは、慎ましやかさと謙虚さの印象が想起され、実際展示内容もそれにふさわしいものだった。

井上の作品は下地むき出しの表層に淡いグリーン系やイエロー系などの色彩が点描さながらに図を形成していく(たまに薄めた絵の具で塗った筆跡もみられる)。全編にわたって明るい感じの作品になっているところから、快晴の時のみで曇りの時は散歩をしないのではないかと思わせる。描かれたそれらは陽光につつまれている状態であり、光によって輪郭や面や色を引き出された、触れば直ぐにも崩れそうな無防備で自然にさらされた裸体物という印象がある。それに対して天本の作品に描かれるモノは部屋のなかで保護され、人工光に照らされた固形物という感じがする。井上のモチーフが自然のなかでゆれるイメージであるなら、天本のモチーフはビクッともしない、構成的に置かれた存在というイメージである。見かけの上では対照的ではあるが、お互いに共通しているのは、どちらとも喧騒した世の中からは無縁である日常的光景のなかにささやかに存在しているモノに対象を向けていることである。それは、あらゆる意味、思想、規範などが張り巡らされた現象ではなく、物自体と物自体を取り囲む空間と諸事物からくる現象であり、即自的なものでもある。対象に対する信頼性があり、対象もそれに応えてまなざしを向ける者に開かれようとしている幸福な関係が見られるような気がするのだ。知覚する主体があり、知覚された対象がある、それだけの世界。その関係は反時代性すら感じられないでもないが、同時に絵画という表現にもっともふさわしい関係なのではないだろうかとも思わずにはいられないのである。