「日陽はしづかに発酵し…」

冒頭から始まる、低空飛行の視線からとらえた延々と続く中央アジアの俯瞰風景は墜落によって中断する。続いては、その土地に住む人々が引いたり寄せられたりした画面に収められる。それら人々の顔には閉塞された風景のなかで、生きる希望を失い、発狂寸前すれすれのところで日々生活している絶望的な表情が、薄められた黄色いヴェールに覆われて映っている。
ソ連解体直前の中央アジアの荒涼とした大地にロシアから1人の青年医師が赴任し、そこで生活するのだが、ロシア人青年が次々に目の当たりにするのは、不可解な出来事ばかりである。呼びもしないのに姉が現れては唐突に消えていく。論文執筆中に何かの軍隊に追われている兵隊に家の中に侵入され、兵隊は鉄砲を向け「ものを書くな、ここで思考することは無意味だ」と告げた翌日は低山のふもとで撃たれて死ぬ。交流のあるアジア人青年の家ではヒトラーの写真が現れる。自分の家に帰ってみると精気のない少年がうずくまっている。それらの出来事は脈略ないシーンの連続になっているが、どれも死の匂いが漂っていて、遥か先の世界の終末に吸引されていくような感覚が収斂されようとしている。ロシア人青年の内面も漸次的に歪んでいき、身体の中で何かが崩れていく。その時から不可解なアクションが出現し、突然バック転をしたり、書類を燃やしたり、目的も無く彷徨ったりする。(彷徨う場所のひとつに人間よりも小さい家が連なっている町が現れるのだが、その光景はあまりにも幻想的だ)
アジア人青年と永遠の別れをしたあと、ロシア人青年はバックに荒涼とした広大な風景をかかえて、顔だけをカメラに向けて佇む。その時の顔の表情の移り変わりには、この2時間を越えるイメージの重なりがフラッシュバックするかのようだ。中央アジアに繰り広げられる、土地性や歴史性を想起させるあまたのイメージ群のなかで、ロシア人青年の身体が孤独に浮かび上がるその光景は精神と身体の間を彷徨う魂の旅でもある。