「ミスター・ロンリー」

ガンモ」「ジュリアン」のハーモニー・コリンによる、なんと8年ぶりの新作である。僕の5年ぶりの個展を凌ぐ空白の年月なわけだが、映画界と無縁な生活を送っていたわけではない。ガス・ヴァン・サント監督の映画に出演しているし、他映画の脚本も担当し、プロデュースもしている。それでも、ハーモニー・コリンは映画を監督することが、世の中から熱望に求められることに相応しい身分であるのだ。だって本当に天才だもの。

マイケル・ジャクソンが偽マリリン・モンローに恋をするという展開に、新しいラブストーリーを予感したのだが、見事に僕のあさはかな期待を裏切り、最後までぶっ飛び壊れた世界を最後まで見せてくれたのだった。世間的にマイナーで権威からは遠くはなれた、身分的に低く見られている感があるモノマネ芸人たちが不器用ながら懸命に生きる。その姿には、マジで心を動かされるし、僕はあまり好きではない「純粋」「ピュア」という言葉が僕自身の感情的な部分をストレートに揺さぶってくる。だが、現実の世界はそのような人たちを相手にしないし、関わろうともしない。スコットランドの古城でモノマネ芸人たちが共同生活する光景は、喧騒した現実の世界から遮断された空想的なおとぎ話が繰り広げられるユートピアの空間である。しかし、こじんまりとしながら幸福な空気が流れていた小さな世界でも現実の世界と触れ合うことによって、あっさりと不幸の空間に豹変してしまう。

モノマネ芸人たちと並行に尼さんの奉仕活動が描写される。尼さんは空を飛び、海に落下されてしまうのだが、その行動を意味づけるような場面は全然現れてこない。モノマネ芸人たちの共同生活にも映画のなかでは唐突な出来事であり、ハーモニー・コリンの映画には、因果関係や理由が全然無くて、その代りに支離滅裂な世界が現れる。意味のつながりを失った世界は、幻想を見ているようであり、その中に出てくる人物は、絶望的な部分を背負いながら希望に向かっている。たとえどのような結末が訪れようと関係なく、今を不器用に鈍感に生きているだけだ。我々はそのような人たちから勇気や希望をもらえるというわけではなく、ハーモニー・コリンはこの感じの切なさを拡大して提示しているだけなのだ。今日もとりあえず生きてみるかという感じが現在に生きる我々に一番ふさわしい。