若松孝二レトロスペクティブ

一ヶ月ほど前のことなのだが、渋谷シネヴェーラへ若松プロの映画を見るために足繁く通っていた。若松プロの映画は、60・70年代の全共闘と切っても切れないほど深く関わっている。全共闘の反権力的なたかぶり、凄まじい破壊力、そして敗北後の挫折、空虚、倦怠感が、若松プロによってエロスと不条理と同一の空間に押し込まれる。全共闘の革命運動はよりよい世の中にしていく事を目的にしていたはずなのだが、しまいには袋小路に陥るように、外部も内部も境なく狂気を発散する。それでも、若松プロの映画を見る限り、当時の若者たちはこうするしか他には何もなかったような気がする。不可解なエロスや暴力におぼれてしまうのも、先が見えない不安な社会状況のなかで割り切って生きることができない人間の行為による、事の次第でしかないのだと思う。その裏の部分を直截的かつリアルに映画に描いたのが、若松プロであり、その他に同時代の神代辰巳田中登藤田敏八大島渚吉田喜重らの偉大な監督たちがいたのである。全共闘にまつわる60・70年代の映画は、何故こんなにも現在の僕に刺激を与え続けてくれるのだろうか?人間が本能的にもつ衝動力やそこから来る負の面をありのままというか、複雑なままに提示しようとしているから、他のなにものにも変えがたい魅力があるのだと思う。そういえば現在、僕は60年代に描かれた大江健三郎の初期小説にもはまっているのだ。わかりにくいまま、読んだり見たりすることが、とても面白い。そのようなわからなさを多くの表現者が実践し、多くの観客を獲得できたのが、60・70年代だったのではないかと思うし、そのような雰囲気が当時の社会全体に空気のように浸透していたのだろう。倦怠感の60・70年代と言われているが、現在よりはましだ。


若松プロ・ベスト3
1、「天使の恍惚」 ラストの疾走感には目を見張るものがある。
2、「ゆけゆけ二度目の処女」 ビルの屋上を密室に仕立て上げ、そこで繰り広げられるエロスと不条理と暴力の戯れは、刺激的だ。 
3、「処女ゲバゲバ」 富士山麓の荒野で裸の男女が駆け回るナンセンスの最高傑作。