「スリ(1959)」

刑務所の面会室で鉄格子ごしに愛撫しあう男女の姿は、絶望さゆえに美しい。人生を半ばあきらめかけている青年と家の中での子育てと隣人の家族である青年に恋心を抱く以外のことはまるで無関心であるかのようなやや単純な美しい女性の恋愛への行方は驚くほどシンプルだ。その合間に青年はスリの技術を洗練させ実践を重ねて行くのだが、そのスリの手口を科学映画のように観察的に捉えていく映像は、観る者の思考や観念を一時停止し、一種の無常空間が出現する。その空間では、善悪判断や倫理などといった人間であるための理性的言動は無効にされる。財布を盗むという目的以外は何もない機械的な手の動きのみが崇高的なまでに美しく描かれている。ターゲット人物を間近にあるいは真正面に繰り広げる極限の緊張感が手に取れるようであり、本当にゾクゾクしてしまう。細長い指による滑らかな妙技。他の二人と手を組んだ見事なチームワークの連続動作。スリをするときの顔面の表情の微妙さ。観る者はそれらの即物的な運動をパフロフの犬のようにただただ見入るしかない。資本主義社会のなかの反社会的行為はブレッソンによって芸術的行為に昇華され、誰もが見とれていく。スリの手口のカメラワークでは2、3秒のオーバーラップが掛かっているのだが、あまりにも流麗すぎて人間の意識によって取り付けたようにはとても思えない。そこに発生すべき発生してきた映像の奇跡であり、神の手によって現われてきたとしか見えない。この映画は1959年製作であり、ここで使用された映画技法は今となっては古典的技法でしかないのだが、このオーバーラップこそもっとも映画的なものであり、映画とは真っ先に表象的にも物理的にも運動であることが改めて確認されるのである。