「悪の法則」

ハビエル・バルデムをスクリーンで見るのは、冷酷非情な殺し屋を演じた「ノーカントリー」以来なので、今回の派手好きでおしゃべりな実業家(ライナー)の役柄にはあまりにもイメージチェンジすぎて、ギャップの落差についていけなかった。バルデムが出演した他の映画を少しは見ておくべきだった…。しかも、麻薬組織の下っ端にあっけなく殺されてしまうんだから、ミステリアスな殺し屋アントン・シガーの面影はひとかけらもない。バルデムはどんな役柄を演じるにしても、ラテン系ノリを余裕たっぷりに収容できるあのモンスター並みの顔デカだからこそ変幻自在な演技が効くのだろう。

「悪の法則」は絶望以外には何も見あたらない。「ノーカントリー」の原作者でありコーマック・マッカーシーがオリジナル脚本を書いたのだから当然といえば当然か。前半は締まりのない気取った会話が延々と続く場面がいくつかあって多少うんざりしてしまうものの、巧みなストーリー進行と場合によってはどうでもいい細かなディテール描写が並行していく。後半では主人公の弁護士カウンセラー(マイケル・ファスベンダー)にトラブルが発生し、緩やかな画面調が180度急転し、マルキナキャメロン・ディアス)を除く登場人物はスリリングな展開のなかで奈落の底まで突き落とされてしまう。前半のゆったりした人物同士の交流やどうでもいい会話の場面の裏ではあらかじめ決定されていたことが、ウエストリー(ブラッド・ピット)を死なせた機械仕掛けの絞首針金の動作と同じように静かに進行していたのだということが後半になって顕在化したときは、根底から戦慄した。後半はスリリングな展開とともに人物間会話も前半のまったりした感じから、哲学的濃密な内容に打って変わる。カウンセラーとかかわってきた主要人物たちのまったりした会話のなかで時々出てくる意味ありげな発言も哲学的または予告的であり興味深い科白であったが、僕にとって最高潮だったのはカウンセラーが電話で弁護士界のボスらしき老人から説教される場面だ。ボスはどん底に落ちぶれたカウンセラーを慰めるどころが、逆に「人生はあらかじめ決定されているのだ、今回の事態を選択したのは自分なのだからそれを受け入れるしかない」みたいなことをビリヤード棒とウイスキーを交互に片手にもちながらあっけなく言う。救いの無いアドバイスだが、妙に納得してしまったのはあまりにも酷すぎるだろうか。序盤から予告的な科白が積み重ねられていき、ストーリー展開のなかで暗示的な場面がたびたび出現してベタな感じ(マルキナの背中にある豹模様)もするが、世界(表世界も裏世界もつながっている)のシステムの決定論を俯瞰撮影した結果であり、その揺るぎない世の中の有り様をシンプルに明示することに成功したのだと思う。さすがリドリー・スコット(個人的にいえば、亡くなられた弟のトニー・スコットのほうが好きだけど)。映画館を出たあと、絶望のあとには何も残らず、ただ世界は次から次へと非情に動いているだけなのだということを不覚にも受け入れてしまった僕は今後どのように生きていくべきなのだろうか。あまたの世界観のひとつにすぎないとして決定論を無視し自分の感覚(希望)を頼りに生きていくしかないが、世界はあまりにも大きすぎる。