遺影と運河の二つの絵

安保法案が強行採決された翌日、国会前の熱気を伝えるニュースが流れるなか、僕はいてもたっていられない気持になっていたが、なかば受動的に国会とは逆の方面にある群馬県桐生市に足を延ばし大川美術館の「戦争の時代を生きた画家たち」を観に行く(半分非主体的な行動は僕の絵画と同じだ)。実業家であった故大川栄二氏が約40年にわたって収集した美術作品のコレクションを有する個人美術館の収蔵作品の中からセレクションした、どちらかというとこじんまりとした企画展示であったが、作品のひとつひとつが小さな宝物のように展示されているにもかかわらず、激動と波乱にみちたひとつの時代にたいする共有性が不安や抵抗あるいは虚無感といった作家の精神や人間性をふまえてその時代の空気感がひとつになって僕のまわりを囲むように流れていて、なかなか見応えのある展示であった。だが、やはり戦中、戦後に描かれたどの作品にも不穏なイメージが漂っている。清水登之の絶筆であり、戦地で若くして亡くなった息子の凛とした制服姿を描いた肖像画(「育夫像」1945年)は陽光を浴びて人体の輪郭がくっきり出たクリアな色使いがかえって生々しい不気味さを出している。息子の人物像の背景にある鮮やかなブルーで描かれた青空は大胆に塗り残されたままになっている。絶筆となっているから何らかの事情で途中で筆を置いたのかもしれないが、隅々まで塗りほどこされていて完成の水準に達している人物像と塗り残されたまばらな青空の対照的な構図が不思議な感覚を生み出している。塗り残しのキャンバスの地がイメージではないただの表層として剥き出しにされている。鮮やかな人物像を囲むようにして、イメージから逃れたその揺るぎのないモノ自体(地自体)としての表層はキャンバス内の空虚から精神内部の空虚へと転化し、しまいには時代精神の空虚へ膨張していく。クリアなイメージが息子の存在感を強く出しているが、同時に不在の事実を絶望的なまでに突きつけられている。そのギャップがイメージの不確実性、人間の存在の脆弱さを浮かび上がらせていて、僕のイメージ感覚を漸次的にゆっくりと混沌のなかに落し入れる。36才の若さで亡くなった松本竣介の「運河風景a」(1941年)は紙に鉛筆とコンテで描かれた作品なのだが、油彩画にもひけをとらない確とした存在感があって、他の作品より僕は長いあいだその場に引きつけられていた。くすんだ建物と河と空だけの無人風景かと思って見ていたら、船乗り場とおぼしきところの部分にこちら側を向いて立っているのと背を向いてしゃがんでいる二人の人物が建物の陰に溶け込むようにひっそりと佇んでいる。白黒のモノトーンで統一された戦時下の都会風景は鉛のような閑散とした雰囲気を醸し出しているが、何やら雑談をしている感じの二人の人物に気付いたとたん、微々でありながら情緒のある風景への変化が僕のなかで生じてくる。「戦争なんて俺には関係ないね。死ぬときは死ぬ。まだ無事なら生きていくだけのことさ。」とでも言い合っているかのようだ。世界情勢がめまぐるしく変化しても、もろもろの人間はひっそりとどこかに存在し続ける。ヒューマニズムとも違った、ただそこにいるという感覚であり、人間イメージの不在のなかにあってもどこかでモノになるぎりぎりのところの人間の存在を松本は描いている。あくまでも見えること(可視性)にとどまろうとする。それにたいして清水の息子の肖像画は強固な人物イメージが示されているにもかかわらず人間不在の感覚が強烈にあり、可視的なものを不可視のイメージに変えてしまうある種の不気味さがそこには現れている。その不気味さは戦争がもつ不気味さに直結していることは言うまでもない。戦争の時代を生きなければならなかった画家の対照的な二つの作品だが、清水と松本はどちらも人間の表象を介在して戦争が引き起こす不穏な空気にたいして研ぎ澄まされた感覚をもって絵を描いたのである。
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