児島善三郎/武蔵野

武蔵野の自然に惹かれて代々木から国分寺にアトリエを移した児島善三郎は自宅近郊の田園風景のフォルムを簡略化し、児島曰く「日本人の油絵」を創造するべく、大きくはないキャンヴァスのうえで装飾的表現がユーモラスな感じをもって展開されている。北斎ばりの大胆な構図のなかで形の基本である丸・三角・四角の組み合わせが画面のところどころに現れている。△は家の屋根、山や木の形に直接結びつき、□ は水田が繰り広げるパターンのなかに見出される。問題なのは◯の表現である。《庭の雨》(1938)のメインモチーフである、庭木というには大きすぎる中途半端な高さの木の一群はのっぺりした平板な◯の面や伸びやかな線で描かれた◯の輪郭が密集したグループに置換され、◯と◯を同じ色の太いストロークが一筆風な感じで繋いでいる。緑色のバリエーションがかろうじて葉っぱの一群を連想させるが、形体と輪郭の極端な簡略化はほとんど抽象画であり、◯と◯を連結する怪物みたいなストロークは意味不明ですらあるが、その表象には自然の直接的な存在に対する肯定的なものが直接的に生動している。《秋晴》(1939)はセザンヌを彷彿とさせる松の木の向こうに広がる遠景の構図となっているが、遠方にある林の部分をあっけなく太いストロークでぐるりと描いた◯が横に連なっている。手前に画面を遮断するように大きく描かれた松の幹からニョキニョキと伸びる枝の先にある葉っぱの一群も、やはりぐるりと囲まれた◯のなかに松の針葉の記号がいくつか付されている。松の幹のあいだに幾つにも派生した◯のグループは広い宇宙に散在する小宇宙(島宇宙)のようであり、現代人の感覚にフィットするイメージを醸し出している。児島が描く◯の表現は自身の内から生起する幾つかの価値観がそれぞれの◯に直接に結びついている。つまり自然を前にして自身の精神を無限な形式として規定するのである。自我を封印し内容より形式として展開した結果、◯を筆頭に△・□ および簡略化された記号による様式的表現が運動の全体として、自然の形や様態から本質的イメージを形成している。視覚形式として児島に選ばれた武蔵野の自然から、抽象的な直接性すなわち純粋なる表象が生み出されてきたのである。
「私は今までの自己を一度全部破棄して、個性と思っていたものを放下する決心で居る。今までの小さな個我を精算した時、広々とした天地万有の生命が私の内に流れ込んで来る気がする。自己滅却によって神羅万象の生命が初めて大きな息吹きを以て再生するであろう。」児島善三郎
https://www.city.koganei.lg.jp/kankobunka/453/hakenomori/kaikanbi.html