映画

語る者たち

ろう者であるアン•マリー監督は、“私たちの仲間”と呼ぶろう者のHIV感染者とその周辺のろう者のもとへカメラを持って会いに行く。ろう者はカメラの前でエイズと自分自身のかかわりを淡々と語る。ある者は健康だった頃はダンスに熱中していたと語り、別の者は…

『河内山宗俊』

28歳で戦病死した山中貞雄はわずか5年間の監督生活で、発表された作品は全26本とけっこうな多作である。しかし、そのうちまとまった作品として現存しているのは、『丹下左膳余話 百万両の壺』、『人情紙風船』、『河内山宗俊』のたった3作品しかない。その…

『緑色の髪の少年』

2018年の締めくくりに(といっても数本しか観れてないが)、ジョゼフ・ロージーの『緑色の髪の少年』(1948)を観る。この映画でハリウッドデビューを果たしたロージーは、のちに当時アメリカで吹き荒れていた赤狩りを逃れて、イギリスへの亡命を余儀なくさ…

『お願い、静かに』

柔らかな中間色とでもいえるような淡い画調に施された表層のうえを子供たちのやや消極的な表情が純粋無垢なまま浮遊している。自分には聞こえない教師たちの話し声が教室や体育館の外部からのつながりを持たないドメスティックな空間を自由自在に行き来する…

『寝ても覚めても』

『寝ても覚めても』を観る。柴崎友香の原作を先に読んでから観ることを考えていたが、計画的行動は苦手ではじめからうまくいくはずもなく、とにかく濱口竜介の映画の初鑑賞を済ませなければという気持ちが先行し、他の所用のあいまを見計らうようにして何の…

『タイニー・ファニチャー』

大学卒業後、あてもなく実家に帰ってきたオーラ(レナ・ダナム)は、出迎えすることなく地下のフォトスタジオに籠もったまま作品制作に取り掛かる母と妹(実の母と妹!)のスタイルの良い身体と対照的な身体をスクリーンに露出する。母から「家に住むなら私…

『グッバイ・ゴダール!』

『グッバイ・ゴダール!』を観る。どこかの映画館で手に取ったチラシの表紙からくる、妙な感じはあったものの、20代の僕にとって青春だったゴダールをフィリップ・ガレルの息子であるルイ・ガレルが演じるという魅惑的な組み合わせに無反応でいられるわけが…

『それから』

ホン・サンス監督の『それから』を観る。世界中から高い評価を受け、現在はもはや巨匠の域にはいりつつあるホン・サンスの映画は、恥ずかしながら初鑑賞である。初見の作品がモノクロであるのは、今後のホン・サンス体験に何かしらの影響が及ぶことになるか…

スピルバーグの包容力

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を観る。政治の劣化が目に余りすぎる現在の日本に、ある意味タイムリーな映画であるが、それ以上にシリア攻撃を行ったトランプ政権に反旗を翻すような内容をハリウッドでさらりと当たり前のように製作するアメリカ…

『ゴッホ 〜最後の手紙〜』

ゴッホの絵画が動きだし、ゴッホの謎に満ちた死の真相の解明へと物語と画面が相互にうねり続ける、奇妙な感覚を醸し出す映像は最新のCG技術とアナログな油絵の手法を組み合わせることで生み出されている。俳優たちが役を演じる実写映画として撮影された後に…

『パターソン』

米ニュージャージー州パターソン。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが医者をやりながら暮らし、アレン・ギンズバーグが生まれ育った町として知られている。その町で同じ名前をもったパターソンはバスを運転するかたわら、事あるごとに秘密ノートに詩を書…

この冬、いちばん静かな驚き。

訳あって、20年以上ぶりに北野武監督の『あの夏、いちばん静かな海。』を観ることになったのだが、新鮮な驚きが今になっても僕のなかにずっと響いている。北野は当初サイレント映画にしたかったらしく、この映画ではろう者のカップルを主人公にすることによ…

「ハドソン川の奇跡」

一夜にして英雄となったサリーはハドソン川に不時着水したその夜に悪夢を見る。ハドソン川ではなくマンハッタンの高層ビル群に機首が衝突し炎上するところでサリーはガバっと起きる。悪夢を取っ払うために真夜中にジョギングした先には戦闘機が停まっている…

「FAKE」

列車が走る時の音の存在を親切にも字幕で教えてくれるベランダのシーンで、佐村河内はタバコを吸っている。家のなかにまでメディアが侵入するなか、佐村河内はベランダに出ることでかろうじて本来の自分を取り戻そうとする。ベランダに奥さんが出てきた時に…

「LISTEN」

「音楽」そのものがわからない僕にとって、映画のなかでろう者が「音楽」を語れば語るほど、「音楽」がますますわからなくなっていく。だが、この映画に現れる「音楽」は言葉や概念としての「音楽」、音声ありきとしての「音楽」ではなく、視覚的に行動する…

「エンリコ四世」

海だか湖だかわからない水面(あるいはなかったのかもしれない)に日の出あるいは日没の黄金色が美しく染まる景色が列車の移動撮影によって流れていると思って見ているうちに、画面がゆっくりとパンしながら助手席の医者らしき人物をとらえたときに列車では…

「FOUJITA」

藤田嗣治の恰好をそっくりに扮したオダギリジョーがイーゼルの前に屈んでモチーフを見つめる。そのフォルムに惹かれて小栗康平の映画を初めて見たのだが、スクリーンに映る世界観は最後まで僕に映画的快楽をもたらすことはなく2時間がとても長く感じられて…

「アクトレス 〜女たちの舞台〜」

現代特有のせわしさやドライな感覚が初老の大女優の身辺をどこまでも取り囲んでいる。アルプス山脈に向かう列車のなかで、マネージャーの若い女性はひっきりなしに携帯電話を耳にあてたり、画面をいじったり、あるいは廊下を行き来したり、と常にせわしくし…

「上海から来た女」

オハラ(ウェルズ)のけだるい表情はスクリーンに最初に現れたときから終始くずれることなく、海に向かって彷徨う後ろ姿を俯瞰ショットが後退するゆるやかな動きを持続させながらジ・エンドの文字が重なっていく。けだるいのはオハラの表情だけではない。序…

マックス, モン・アムール

外交官(ピーター)の住む高級感漂う部屋に一匹のチンパンジー(マックス)がいるという滑稽な光景。言葉をもたない類人猿のまわりで人間たちは言葉を飛び交わすのだが、チンパンジーの沈黙と並列に置かれたあまたの言葉は何を言っても無意味でしかないかの…

「ザ・トライブ」

テオ・アンゲロプロスとレオス・カラックスを足して2で割ったような映画というのが率直な印象だ。ロングショットによるワンシーンワンショット(長廻し)で登場人物の動きを固定画面で捉えたり、移動撮影でゆっくり追いかけるのだが、登場人物はマシンガン…

「アメリカン・スナイパー」

エンドロールには実際の映像らしきものが映るのだが、走る車のなかから撮影された沿道にはおびただしい星条旗が灰色のなかで雨に濡れながら弱々しくはためいている。この映画の主人公はクリス・カイルではなく星条旗である。カウボーイから転身し、イラクで1…

「悪の法則」

ハビエル・バルデムをスクリーンで見るのは、冷酷非情な殺し屋を演じた「ノーカントリー」以来なので、今回の派手好きでおしゃべりな実業家(ライナー)の役柄にはあまりにもイメージチェンジすぎて、ギャップの落差についていけなかった。バルデムが出演し…

「スプリング・ブレイカーズ」

つかの間のパラダイスは、現実世界から脱出した暁の行き着いた場所だったのだろうか。それとも乱痴気騒ぎの一時的なあいだだけだったのだろうか。4人の女子大生の逃避行は時間の流れに沿って展開するのだが、前後のシーンが折り畳むように交錯しているので…

「コックファイター」

賭けに熱中する観客に囲まれる円形闘技場の中心には足に剣を付けられた2匹の鶏が激しくぶつかり合う。スローモーションで美しい放射状を描く血しぶきをよそに鶏の一心不乱な表情には闘争本能以外何も見当たらない。お互いぶつかる直前にジャンプをする時、鶏…

「殺人幻想曲」(ネタばれあり)

冒頭の空港シーンで周りをよそに熱い抱擁と接吻をする英国人指揮者と美しい若妻。ラストもホテルの一室で熱い抱擁と接吻がクローズアップされ、そのうえにエンドタイトルが被さりこの映画は閉じる。同一人物の2つの同じシチュエーションに挟まれたこの映画…

春風沈酔の夜

新宿で「スプリング・フィーバー」を観る。中国映画第六世代の代表格であるロウ・イエ監督の中国ではまだタブーとされている同性愛を描いた映画であり、中国国内では公式上映を禁じられている。広大な中国社会のなかの微小であり特殊にすぎない人間ドラマで…

サイレント映画であってサイレント映画ではない

最新の映像技術がたえず更新されていく現在のなか、白黒のサイレント映画を撮る意味は何だろうか。2011年製作のサイレント映画「アーティスト」はサイレントからトーキーへ移行する激動期のある男優とある女優のメロドラマを描いている。この映画では、サイ…

「お引越し」

「おめでとうございます、おめでとうございます…」 早朝の琵琶湖の浅瀬で、主人公レンコが連呼(ん?名前と同じだ…)するこの謎めいたモノローグは、この映画のなかで唯一僕が読み取れた台詞だ。いつも通りに僕は日本映画を台詞やナレーションの内容をわから…

「灼熱の肌」

「あなたに共感するわ。何故なら私も女だから。」 ポールの恋人であるエリザベート(猫背が可愛らしい)は禁断の逢瀬を告白するアンジェラにこう言う。アンジェラ(1964年生まれ!)から袖にされ失意のどん底にくれるフレデリックのそばに寄り添うポールの行…