映画

「ミッドナイト・イン・パリ」

パリの幻惑的な夜の帳のむこうからゴールデンエイジの超偉大な芸術家が次から次へと出現してくるアメージングなキャストショーには映画をまともに見ていられなくなるほど、マニアックな好奇心をそそられる。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ピカソ、ブ…

「亡霊怪猫屋敷」

この怪談映画の序盤には、深夜の闇に包まれた病院内を誰かが懐中電灯を照らしながら奥に向かっていく場面と、3人の訪問者が廃れた屋敷の門から庭を通り建物内に入っていく場面が出てくるのだが、どちらも引き気味の撮影でスローテンポになっている。この先…

「サウダーヂ」

やっと「サウダーヂ」を観ることができた。この映画はしばらくDVD発売はしないとのこと。その代わりに映画館上映を不定期に延長している様相のようだ。そのおかげで今時になって映画館で観れたわけだが、この「サウダーヂ」は私的空間で身内だけでまったりと…

「珈琲とエンピツ」

ろう者である僕はこのドキュメンタリー映画を純粋に観ることはなかなか難しい。ろう者として観たのか、それともひとりの人間として観たのか、どっちつかずのまま映画館を出る。ろう者とはあらためてとても複雑な存在だとつくづく思う。ろう者という存在は耳…

ヴェルマ/アメリカ/ヘルマン

ノートパソコンの画面から始まる映画はとても緩慢なリズムを伴って進行していくのだが、自殺をほのめかす車のなかの女性の前でいきなり小型飛行機が湖に突入したあと、現実あるいは過去の一場面に戻されたかのように知覚したはずなのだが、映画が進行するに…

映像のなかの映像

今年も残りわずかになったが、大震災と手話指導を始めた影響で例年より映画の鑑賞数が激減した。その限られた映画体験のなかで僕にとっての最大出来事は、マルコ・ベロッキオの発見であった。年末の「夜よ、こんにちは」と「愛の勝利を」の連続鑑賞は他にも…

子供は運動を通じて成長する

相米慎二の映画が日本語字幕付で見られるのは、半ば奇跡に近いようなものだ。先日、東京フィルメックス映画祭のバリアフリー事業の一環として「夏の庭 The Friends 」の日本語字幕付上映があったので、銀座の東劇へ期待をもって行ってきた。その結果、もちろ…

「トスカーナの贋作」

未だに夜9時の鐘の意味がわからない。音による想起なのだろうか。それにしてもイタリアの夜は明るすぎるため、日本人の僕にとっては時間感覚を整理できないままに終映をむかえてしまう。ラストの雰囲気からすると、どうやらこの中年の男性と女性は本当に結…

「エッセンシャル・キリング」

この映画の登場人物は最初から最後まで逃げることしか映されていなく(回想シーンはあるけど)、しまいには一言も言わずに画面から消えていく。消えたあとには首筋に赤い模様を着色された一頭の白馬が大自然を背景に優雅にさまよっている。瀕死状態の逃亡者…

「スリ(1959)」

刑務所の面会室で鉄格子ごしに愛撫しあう男女の姿は、絶望さゆえに美しい。人生を半ばあきらめかけている青年と家の中での子育てと隣人の家族である青年に恋心を抱く以外のことはまるで無関心であるかのようなやや単純な美しい女性の恋愛への行方は驚くほど…

2つの津波映像

東北関東大震災発生から2週間を過ぎた現在、被災地は依然として厳しい状況のままだ。東京では余震の回数が徐々に減ってきてはいるものの、放射能による目にみえない恐怖や「無」が付く計画停電などに振り回されていて、落ち着かない日々が続いている。地震発…

「運命のつくりかた」

10年後のセックスはとても感動的だ。大自然のなかで突如の再会を果たし、マリリンは暗闇のなかの娘から「ママ」と呼ばれ、ボリスは2階で昔の自分に戻るかのようにヒゲを全部剃る。ボリスの恋人(セフレ?)がいるなかですべてが運命ではない運命に導かれてい…

「クリスマス・ストーリー」

アルノー・デプレシャンの「クリスマス・ストーリー」を観る。フランス映画ではあるが、これは立派なハリウッド映画でもある。複雑な物語構成でありながらも全編にかけて退屈させない創りが、現在のハリウッド映画と寸分も違わない印象を受ける。150分という…

「ドアーズ/まぼろしの世界」

ろう者である僕なのだが、信じがたいことにこの映画でドアーズの音楽を完璧に聴くことができた(補聴器をつけてはいたけど、物音的レベルでしかない)。聴者やドアーズのファンから「そんなわけねーだろ!」と罵倒されたり、失笑を買ったりされても、一向に…

「告白的女優論」

吉田喜重のフィルモグラフィーを大きく3つに分けるとすれば、松竹大船時代、現代映画社初期、ドキュメンタリー製作〜現在といったところか。フィルモグラフィー晩期の「人間の約束」「鏡の女たち」はブランクを感じさせないほどの大傑作で衝撃をくらったの…

「アイ・コンタクト」

世の中には、様々な人間がいるように、耳が聞こえないといっても様々な人たちがいる。だが、様々な耳が聞こえない人たちというのは、なんといってもまず、言語使用形態の違いが真っ先に現れてくる。もちろん大きな違いは、手話の有無である。最初、手話か、…

芸術的ストーカー映画

イメージフォーラムで「シルビアのいる街で」を見る。文句なしに立派なストーカー映画なんだけど、不気味さや陰鬱さはひとかけらも感じることなく、唯物的ともいえる豊穣な描写イメージに目が釘付けになってしまった。日光や街のざわめきによって刻々変化す…

D・V教信者の告白

最近、絵画制作とは別の副業を始めたぐらいでブログ更新がおろそかになってしまうなんて、僕はなんてダメダメ人間なんだろうとつくづく思うこの頃である。さて、久しぶりのブログはもちろん映画感想だ。てゆーか、精神的余裕をもてない現在の俺は映画を観て…

「略称・連続射殺魔」

舗道がまだ整備されていない地方の街らしき中で、祭りの参列が寂しげに進むところから始まるこの映画は、ノンフィクションの装いを最後まで脱ぐことなく、日本が高度成長期の最中にあった時代の風景のみを約90分にわたって写し続ける。何の変哲もない一地方…

ジョニー・トーの様式美

「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」。やけに長い邦題だな。原題は「Vengeance 復仇」、そのままでいいじゃん。でもこの映画を見れば、キザなタイトルをつけたがるのもわかるような気がする。それくらい詩情的イメージが終始画面の隅々まで行き渡っている。ジ…

藤田敏八の映画

ちょっと前まで、渋谷の名画座で田中登の映画を個人的に発見しようと思って8本を立て続けに見たのだが(どれも傑作で素晴らしかった!)、他の日活ロマンポルノ映画も一緒に上映されていて、そのなかで藤田敏八の「エロスの誘惑」と「危険な関係」も見るこ…

「㊙色情めす市場」

先日ついに、日活ロマンポルノいや日本映画の大傑作「㊙色情めす市場」(田中登)を観ることが出来たのだ!あまりにも凄すぎて映画を観終わった後、しばらくのあいだ席を立つことができなかった。いきなり冒頭シーンから衝撃を食らってしまう。やや荒々しい肌…

サイレント映画の記憶

最近、3本のサイレント映画を観る機会があった。「キートンの大列車追跡」(バスター・キートン)、「アンダルシアの犬」(ルイス・ブニュエル)、「三面鏡」(ジャン・エプスタン)の三本だ。久しぶりのサイレント映画を目前にして、僕は神妙な心持ちになり…

「ユキとニナ」

他者と対峙する時のとまどい。それが子どもであるがゆえに映画の内部と外部を分けたつ一線を突き破って全面的にさらけ出してしまう。両親が離婚するユキが出した仲直りしてほしいという内容の手紙を読んだ母親は激しく泣いてしまうのだが、その場にいたユキ…

どこまでも絶望的な風景

曽根中生の「色情姉妹」を観る。ヌーヴェル・ヴァーク風の躍動感を凝縮した冒頭のプロローグ的モノクロシーンからラストの荒涼とした美しい絵画的シーンまで映画的強度が途切れることなく、終始圧倒的だった。舞台は今ではネズミやアヒルたちが支配するメル…

神の子、マラドーナ

中学の時、僕は規則がんじがらめの寄宿舎生活を送っていた。ワールドカップメキシコ大会の生中継はたしか朝2時頃からやっていたので、高校生の先輩2人と一緒に学習室のテレビを無音にして(この時ほど僕はろう者なのだと痛感したことはなかった)サッカーの…

「恋も忘れて」

東劇で清水宏の「恋も忘れて」(1937)を見る。戦前の横浜を舞台とした水商売の母子家庭の物語を撮ったこの映画は全てに緩やかなリズムが流れている。横浜港の風景ショット群のずばぬけたセンスに唸り、幼顔と成熟した色っぽい身体のアンバランスが魅力的な…

ジャームッシュとプーマ

久しぶりのブログ。さて今回の映画雑感は、だいぶ前に観た「リミッツ・オブ・コントロール」。前作「ブロークン・フラワーズ」以来4年ぶり、ジム・ジャームッシュ監督の新作なわけだが、本場ハリウッドやハリウッド化されつつあるアジア映画、あるいは、涙腺…

三文役者、殿山泰司

京橋で「黒の報告書」('63)を見る。これまでに、増村保造の映画を20本近く見てきたが(もちろん日本語字幕無し)、初めて増村の映画を面白くないと思った。というのも、あらゆるジャンルの映画を撮る天才的職人監督である増村でも法廷ドラマとなれば、…

「精神の声」

作品時間、328分。時間単位に変えると5時間28分だ。この非日常的な数字に一瞬ためらったが、勇気と気力を振り絞って水道橋へと見に出かけた。冒頭の第一話にして、いきなり固定ショットが捉えるモーツァルト、メシアン、ベートーヴェンの音楽がかかっ…