美術

《盛るとのるソー》

初台のICCで小林椋《盛るとのるソー》を観る。実はICCは初めてであり、入場料が無料であることに軽く驚いたのもあるが、東京オペラシティタワーの4階にあるICCの入口付近を頂上に上りと下りを山のようにして分けてあるエスカレーターを下りて右に曲がると3…

前衛詩人のような自画像

一見男性のように見えなくもないが、性別不詳な顔がA3を一回り大きくしたサイズ(B3?)の支持体をはみ出している。大きく描かれた鼻のうえに2つの目玉がぎょろりとしているのだが、見る者の視線と対向することなくわずかに逸らしてる。同サイズの支持体が…

ジャコメッテイ

国立新美術館で『ジャコメッテイ展』を観る。会場に入って最初のギャラリーでは細長い形と凸凹のある表面を有する唯一無二のスタイルになる以前のボリュームあるマッスに平坦な表面がそれぞれの幾何学的形態にはめ込められた初期の彫刻作品が数点展示されて…

『絵画は告発する』/板橋区立美術館

本展のポスターにも使われている、井上長三郎の《議長席》(1971)は真ん中を水平に明るい黄土色が上部に、暗い焦茶色が下部に塗り分けられている。画面の中心には大きな椅子に座り、前掛かりに書物らしきものを読んでいる人物が無造作な筆づかいで描かれて…

『エリザベス ペイトン:Still life 静|生』

原美術館で『エリザベス ペイトン:Still life 静|生』を観る。エリザベス・ペイトンは90年代半ばに起こった “新しい具象画” の中心的人物にもなったアメリカの女性画家である。抽象絵画がヘゲモニーを握っていた当時の美術界、主に絵画空間で存在感を失い…

『境域 −紫窓[SHI・SOU]−』

秋葉原と浅草橋の中間というどっちつかずな場所にあるオルタナティブ・スペース「Art Lab AKIBA」の倉庫を利用した空間は、夜の帳が降りきってしまった外部とシンクロするように内部も暗闇になっている。暗闇は奥にあるのだが、カーテンとか遮るものはなくド…

井上孝治の写真

戦後の福岡でカメラ店を営みながら、プロレベルを超えた写真を撮り続けたろう者の写真家を知っているだろうか。彼の名は井上孝治。その時はまだ一地方にいるアマチュアの写真愛好家にすぎなかった。だが、1989年に福岡の老舗の百貨店「岩田屋」が展開するキ…

牛腸茂雄

所用で六本木に行ったら、東京ミッドタウン1FのFUJIFILM SQUAREで牛腸茂雄の写真展をやっていたので、迷わず寄ってみた。牛腸は生前中に3冊の写真集を自費出版で刊行している。3冊のうちの《日々》、《SELF AND OTHERS》の一部と、カメラ雑誌『日本カメラ…

「井上実展」

コンクリートやアスファルトに埋め尽くされた街のはずれにかろうじて残されている自然のなかでひっそりと茂る雑草を散歩の途中で撮影する。その撮影された画面のアングルこそが制作プロセスのなかで作家の主体性が最大に発揮される行為の形跡となっている。…

トーマス・ルフ/近代風景

東京国立近代美術館で1Fの「トーマス・ルフ展」と2F(ギャラリー4)の奈良美智セレクションの「近代風景」展を観る(常設展も毎回見るのだが、今回は用事の為断念)。トーマス・ルフの作品の大半は他者が撮影したものである。自身が撮影した作品はこの展示…

ルーシェイとフロイド

東京ステーションギャラリーへ「12 Room 12 Artists」を見に行く。ルシアン・フロイドとエド・ルーシェイ(以前は「ルシェ」となっていたのだが)が目的だ。二人とも日本ではまとまった展示がなかなか無くて、しかも同一展示という奇跡に近い組み合わせだか…

ジョルジョ・モランディ

東京ステーションギャラリーで「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」展を観る。目の前にあるものへの絶対的な信頼性と対象の物質と空間への徹底性。モランディの作品をじかに見ていると、時間の感性がまるっきり違うことに愕然とさせられてしまう。絵画…

恩地孝四郎

友人にすすめられて、東京国立近代美術館の「恩地孝四郎展」を見に行ったのだが、思いの他とても良かった。木版画を中心に油彩画、ペン画、ブックデザイン、写真など様々な表現領域を自由自在に横断する恩地の仕事の全貌といってもいいくらいの作品群を目の…

遺影と運河の二つの絵

安保法案が強行採決された翌日、国会前の熱気を伝えるニュースが流れるなか、僕はいてもたっていられない気持になっていたが、なかば受動的に国会とは逆の方面にある群馬県桐生市に足を延ばし大川美術館の「戦争の時代を生きた画家たち」を観に行く(半分非…

サイ トゥオンブリー

文字そのものではなく、文字が連なって意味が発生しかけるような空間が絵を描くことを目的とした紙の上に繰り広げられたとき(あるいは美術館で展示されたとき)、現代美術に慣れているつもりでも、やはり僕の頭のなかにある視覚野に多少の混乱が生じてしま…

「サーキュレーション ― 日付、場所、行為」

東京国立近代美術館の2階にあるギャラリー4の展示はわりと好きだ。1階のメイン企画展が霞むくらいの刺激をくれる時がある。現在の展示は「事物/1970年代の日本の写真と美術を考えるキーワード」。パリ青年ビエンナーレに出品した中平卓馬の「サーキュレ…

イメージと感性 その2

前回のブログで書いたことをあらためて整理してみる(「セザンヌともろもろの人間は同じ知覚体験を共有〜」は「セザンヌともろもろの人間は近似的知覚体験を共有〜」に訂正)。 見る者の視線は第一の対象物に向かう。第一の対象物に届くと、視線は角度を変え…

イメージと感性

誰かによって既に見られたもの、誰かによって既に切り取られたものを自ずと受け入れる。現代に生きる人の感覚はそのようにしてある。初めて目にした風景や事物でも以前にどこかで見たことがあるような感じに襲われるときがある。日常的に既視感がつきまとう…

ウィレム・デ・クーニング

ブリヂストン美術館へ初めて行く。目的はウィレム・デ・クーニング展だ。パワーズ夫妻コレクションによる小規模な展示とはいえ、ここまでクーニング作品がまとまった形で展示されるのはこれまで日本国内ではなかったではないだろうか。1960年代の女性像を中…

堀浩哉展「起源」

僕はドローイングを全くしていない。おそらく制作の出発点が映像イメージにあるからだろう。既存のイメージから出発しキャンバスに直接描く。自身の身体から発生する新しいイメージに立ち会うことなく、映像イメージをすでにあるものとして非主体的に扱うと…

ことづけが見えない (イベント)

ぎゅう詰めされた狭いホワイトスペースの非日常空間を出たあと、熱をおびた複雑な感情が血液の流れとともに僕の知覚全体のなかでぐるぐるまわっている。自由と不自由の対極をなすふたつの感覚が交錯してもいる。複雑な感情というのは、やはり当事者としての…

「人間の行動」

オペラシティギャラリーで開催中の「絵画の在りか」展で気になった作家のひとりである小西紀行の個展「人間の行動」を見る。「絵画の在りか」の作品は、黒全体のモノトーンな色調であったが、個展では、うってかわっていくつかの配色があり、カラフルな作品…

「絵画の在りか」

の被膜によって、浮かび上がる、筆致の痕跡という実在とイメージとの中間領域に/明治以来の日本人画家たちによる空間表現との格闘の過去を暗示する/多くの作品では近景と背後の遠景の2つの世界が存在し、異質な空間や世界の共存が画面に奇妙な違和感を生…

「われわれは<リアル>である」

住みたい街ナンバーワンの吉祥寺にある武蔵野市立吉祥寺美術館で「われわれは<リアル>である」、[1920s - 1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働]という長い副題がついた展覧会を観る(初めて行ったのだが、…

絵画についての覚書3

絵を描いているときに精神が分裂している状態になっているのではないかと感じることがある。僕自身の心身から発生しているのではなく、絵画によって精神が分裂されているという感覚。あるいは、僕自身のなかに潜在している精神の分裂が絵を描くことによって…

「中村一美展」

現在絵画製作中で終盤の段階に入っているのだが、キャンヴァスに絵具をのせ始めたときにあった油絵具の物質性との戯れは一段落し、作品全体を眺めながら描くことが多くなってきた。四角の枠をもつキャンヴァスに絵具をどんな形でのせようとも、当然のように…

ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ

こじんまりとした絵画作品群にはどれも同じような謎めいた雰囲気が漂う。人物像が多いが、その多くは顔を下向いている。観る者の視線と交わることはない。思索にふけているのか、それとも無心の状態になっているのか、しばらくのあいだ凝視してもどちらなの…

絵画についての覚書2

アクリル絵具から油絵具へ乗換えはしたが、絵画制作のプロセスは以前と何ら変わっていない。あまたの映像から選択された数点の映像をレイヤーで編集し、重層的なイメージを形成する。出来上がった構成的映像をプリンタし、それをもとにキャンヴァスにグリッ…

「日本写真の1968」

美術、映画鑑賞から遠ざかっている現今のなか、仕事、絵画制作、手話講座の合間をかいくぐって東京都写真美術館へ「日本写真の1968」を見に行く。またもや1968年前後の時代にたいする憧憬とも幻想ともつかないような何かよくわからない情緒から今回は恵比寿…

不意な支離滅裂、あるいは無音声の絶望さ

詳細のネタバレあり。展示期間後の感想になると思うのでお許しを。 最近、耳が聞こえない建築学の研究者である木下さんのサイトを見つけたのだが、そのなかに木下さん本人出演の映像作品が武蔵野美術大学の卒制、修了制作の優秀作品展で上映されているという…